――ハチの家――
年の暮れに、ルヒトは泊まりの荷物を持ってハチの家を訪れた。
事の発端は、SNSでのハチの発言だ。
朝、溶けたお野菜を見つけたハチの心境は如何ばかりだっただろう。
どうやら食材を使い切れず、余らせてしまうようだ。
斯くして、ルヒトはハチの家の大掃除に訪れたのであった。
そして今、ルヒトが問題の冷蔵庫を開けたところである。
(冷蔵庫の中は整然としている、ように見える)
(使い切れなかった調味料はドアポケットにずらりと鎮座。食べ物はタッパーに入っているものの、どれも保管されているだけである)
(手前にはつい最近、スポンジになり損ねた半生の生地がラップに巻かれた封印状態でタッパーに入っている)
半生の生地はこの件で生成されたものだ。
ハチ
……。
(離れた位置からルヒトの様子を窺っている)
ルヒト
これはいつ作ったものですか?
(タッパーの1つを取ってハチに見せる)
ハチ
……先週あたり、かもしれません。
ルヒト
いつ食べるつもりですか?
ハチ
……一食分には足りなくて。
ルヒト
これ1つではそうですね。
(手にしたタッパーを置き、手前の封印されしタッパーを取る)
こちらはなんですか?
ハチ
炊飯器で作ろうとしたケーキです。
生焼けのようでしたのでレンジで加熱しましたが……ルヒト、怒ってますか?
ルヒト
怒ってません。
(冷蔵庫から「ピー」と音が鳴り、そっとドアを閉める)
全て出して、食べられるものと捨てるものとを仕分けしましょう。
いいですね?
ハチ
はい。
(おずおずと近づいていく)
ルヒト
周りのカウンターに出していくので、ハチはそれをテーブルに運んでください。
(覚悟を決めた真剣な目で話す)
ハチ
……はい。
(恐々と頷く)
ルヒト
1時間で終わらせましょう。
行きますよ。
(冷蔵庫の扉を開け、扉の1番上の棚から重そうなものや瓶を出していく)
ハチ
……。
(出されたものをテーブルに運んでせっせと並べていく)
ルヒト
(ドアポケットの中を出し終わった)
ふぅ……。
(扉を閉め、深呼吸する)
次です。
(扉を開け、魔窟の中段に着手する。中央に隙間が出来れば、上下の状態を把握しやすくなるからだ)
ハチ
……。
(テーブルに並ぶタッパーを振り返ってからルヒトを見る)
ルヒト
これはいったい……いや、細かいことはあとだ。今は無心になれ。
(独り言を言いながら冷蔵庫の中身をキッチンカウンターに並べていく)
ハチ
……やはり怒ってます?
(ルヒトの様子を窺いつつ、カウンターからテーブルに運んでいく)
ルヒト
うーん……見たことのない状態に戸惑っています。
(ハチの方を振り返り、困った顔で笑う)
ハチ
すみません……タッパーに入れたのですが、増えるばかりで……。
ああ、お野菜が溶けてしまったので、野菜室は片付けました。
ルヒト
減らすことを一緒に考えていきましょう。
野菜室の片付けが終わってるなら良かった。消費が大変ですからね。
(野菜室を開けて中を確認する)
……ハチ。隙間がありませんが?
ハチ
お野菜が送られてきまして……。
母と兄と姉が各々送ってくるので、溜まってしまうんです。
ルヒト
それは、なかなかの量が届いてそうですね。
ハチに食べ物を贈りたい気持ちはわかりますが。
傷む前に美味しくいただきましょう。
(野菜室を閉める)
冷蔵庫はこれで空になりました。そっちは運べましたか?
ハチ
はい。並べました。
……思っていたよりタッパーが大量にありますね。
(テーブルをギリギリまで支配している食料にやや引いている)
ルヒト
では、ハチはそちらで整理しててください。
私はその間こちらで冷蔵庫を掃除します。
ハチ
……はい。お願いします。
(いそいそとタッパーに向き直る)
ルヒト
さて。
(冷蔵庫の棚を外し、流し台に置いていく。迷いなく掃除を進める)
ハチ
……。
(スマートフォンを取り出して、食事の記録と照合しながら古いものを弾き始める)
ルヒト、四日前の余り物はどう思いますか?
ルヒト
基本はアウトだと思います。
匂いがおかしかったりしませんか?
ハチ
……。
(タッパーを開いて匂いを嗅ぎ、首を傾げたあと、おもむろにスプーンで一口だけ食べた)
少々酸っぱいです。冷蔵庫に入れていたのに……。
ルヒト
なんで食べたんですか?!
ペッしなさい!!
ハチ
(目を丸くして流し台にいき、コップに水を入れて口を濯いだ)
……食べてません。口に入れただけです。
ルヒト
飲み込んでないなら良かったです。(ほっと息をつく)
ハチ、4日も経ったものを口に入れてはいけません。
食中毒を引き起こすことだってあるんですからね。
ハチ
冷蔵庫に入れていたのに……残念ですが、捨てます。
ルヒト
冷蔵庫に入れても時は止まらないんですよ?
ハチ
……はい。反省しています。
ルヒト
わかればよろしい、です。
今のは捨てましょう。
他にわからないものはありますか?
ハチ
分からないものと言いますか……タッパーに入れた余り物の保存はどの程度なら大丈夫ですか?
冷凍庫に入れた方が良いのですか?
タッパーは保存容器として正しいと思いましたが、認識に誤りはありますか?
ルヒト
期限と保存方法は食品によります。
タッパーは保存容器として優秀ですが、時を止められる便利ツールではありません。
いいですか。原則として、当日食べるつもりで調理したものは完成から数時間以内に食べてください。
長期保存するなら触れるものすべての衛生管理を徹底してください。
カンピロバクター、ノロウィルス、黄色ブドウ球菌、サルモネラ菌……少なくともこれらの脅威は排除せねばなりません。
(真剣な目でハチを見る)
ハチ
原則として自宅で調理したものは当日中に食べることが望ましく、長期的保存に向かないので完成から数時間経過した場合は適宜廃棄が必要ということですか。
……半日程度を目途に考えて良いものですか?
ルヒト
原則はそうですね。足の早い食品もあるので、見極めが難しいならそれが安全です。
大抵の場合、2~5度で冷蔵保存して半日なら問題ないと思います。
私は経験則で、大抵の食品は冷蔵していれば翌日に食べたところでそうそうお腹を壊さないことも知っています。が、ハチはまずすぐ食べることを覚えた方がいいでしょう。
ハチ
……傷んでいるかどうか。
口に入れて判断してはいけない、ということも覚えました。
舌や唇がピリついたらさすがに止めていましたが、確認もやめておきます。
ルヒト
ピリつく……?
そうですね、食べて確認するのはやめましょう。
あたったらツラい症状が出ますし、治るのに数日を要します。本当に気をつけてくださいね?
ハチ
飲み込まなければ大丈夫だと思いましたが……気をつけます。
ルヒト
ではその基準で仕分けを続けてください。
わからないものがあったら遠慮なく聞いてくださいね。
ハチ
分かりました。ありがとうございます。やってみます。
(作業を再開する)
ルヒト
……。
(素直に作業に戻るのを微笑ましく見た後、冷蔵庫掃除に戻る)
ハチ
……はい、かなりスッキリしました。
(洗い場にタッパーを運び始める)
ルヒト
残っているタッパーは、今日中に食べきれそうですか?
ハチ
量はないので大丈夫です。
(タッパーを洗い始めながら)
ルヒト
よかったです。
テーブルの上のをキッチンに運んでおきますね。
ハチ
はい。お願いします。
こんなことを手伝ってもらってすみません。助かります。
ルヒト
困った時はお互い様ですよ。
それに、頼ってくれて嬉しいです。
ハチ
さすがにお野菜が溶けていたのは初めてだったので驚きました。
ルヒトがいてくれて良かったです。
ルヒト
そんなに素直に言われると、ちょっと照れますね。
(嬉しげに笑う)
ハチ
ルヒトにはいつも助けられています。
なので、私にできそうなことは言いつけてほしいくらいです。
ルヒト
言いつけるなんて、どうしたんです、急に?
(可笑しそうに笑う)
ハチ
私ばかり、ルヒトに色々としてもらっているような気がして……。
ルヒト
心当たりはないですが、何か助けになったなら嬉しいです。
ほら、片付けの方は進んでますか?
これからまだケーキを作って大掃除して、ご飯も作るんですからね。
ハチ
ルヒトのおかげで順調です。
ケーキも家で簡単に作れると見たので、できるのなら、と思ったのですが……難しいですね。
カップケーキならレンジで作れるとも聞きましたが、ルヒトは作ったことがありますか?
ルヒト
カップケーキは……作ったことないです。
スイーツで作ったといえば、白玉団子やべっこう飴くらいな気がします。
ハチ
お団子は……白玉粉の存在は知っています。
スーパーに売ってますよね。
ルヒト
ありますね。子どもの頃はあれをおやつに食べるのが楽しみでした。
(テーブルのものはすっかりキッチンに運び終えた)
ハチ
最近は作ってないのですか?
(洗い終えたタッパー達を確認して作業を終える)
ルヒト
長らく作っていません。
気付いたんです。
冷凍白玉を買う方が美味しくてすぐ作れると。
ハチ
……?
冷凍白玉なんてあるんですか?
ルヒト
あるんですよ、これが。
(得意げに微笑む)
業務用サイズですが、日持ちするのでちょっとずつ食べられますよ。
ハチ
……それは、冷蔵保存ですか?
(気になって問いかけつつ冷蔵庫をちらりと見る)
ルヒト
再冷凍しての保存は味が落ちてしまうと考えられます。
食べる分だけ解凍するのが望ましいでしょう。
食べきれなかったら冷蔵保存して、1日以内に食べるのがいいと思います。
一気に解凍したいのですか?
※冷蔵保存にこだわる理由がわかっていない
ハチ
いえ、そういうわけではないのですが……。
万一食べ切れなかった場合は冷蔵保存、ただし一日以内に食べ切る……分かりました。
基本的に冷蔵庫で長期保存はしない方が良いわけですね。
ルヒト
そういうことです。
少しずつ覚えていきましょうね。
さて、ひと段落つきましたし、一度休憩しましょう。
